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メドゥーサとカエルのぬいぐるみ
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 世界の外れにある陽気なこの島では、漁師たちの言葉とWi-Fiがたのしそうに飛び交っていた。島の中央に行くと、小さいながらも立派な町並みが広がっている。町の背後にそびえる森の奥の奥には薄暗い洞窟があった。
 洞窟のなかでは、激しい剣と魔法の音が響き渡っている。おぞましい怪物の悲鳴があとに続いた。
「なかなかにやるな……。だがこれでおしまいだ」
 ゴルゴン三姉妹の末っ子、メドゥーサが不敵に笑う。
 徹夜続きで周りに隈のついた目と、真っ白い肌が、パソコンの光によって照らされていた。
 画面にはミュートロギア・オンラインという世界中で愛されているオンラインゲームが映っている。仲間と協力し合い伝説の怪物たちをやっつけるのだ。
 人間を石化してしまうことで恐れられたメドゥーサも、ネット社会の波には抗えなかった。現在は洞窟に引きこもり、絶賛ネトゲ中である
「よくぞ粘ったな。……私の手で滅びるがいい。ステンノーよ」
 ゲームのキャラクターが渾身の一撃を放つ。
 巨大な蛇の姿をしたステンノーが、光を放ち消滅した。
「また一つ平和に近づいたな……」
 メドゥーサは満足気にホッと息をつく。
 チャット画面では倒したことへの喜びの声と、お祝いコメントが並んでいた。さっそくメドゥーサも「いぇーい(^ ^)b」とコメントを打つ。
「メドゥーサ」
 後ろから名前を呼ばれてメドゥーサは振り返った。
 立っていたのは、ゲーム上の怪物ではなく。本物のステンノーだった。ゴルゴン三姉妹の一人で、メドゥーサの姉に当たる。
「ステ姉も見てくれていたのか……。私が見事悪しきステンノーを倒したところを」
 しばらく出かけていたが帰ってきたようだ。身体中から塩の匂いがする。
 ほとんど子供体型のメドゥーサと比べて、ステンノーは出るところは出て引っこむところは引っ込んでいた。
 きれいな顔に、不気味なほどの笑みが浮かんでいる。
「メドゥーサ、あなたは引きこもってどのくらい?」
「十年くらいだが……」
 パソコンを入手してから洞窟を出た覚えがなかった。アトランティスの闇市で買った水晶に三千年分の電気を蓄え、Wi-Fiが届きやすい位置をずっと確保していたのだ。
「そのあいだに誰か石化した?」
「ステ姉は愚かものだな。ずっとパソコンの前にいたんだからできるわけがないだろ……」
 何をわかりきったことをとでも言いたげに、メドゥーサは答える。
 ステンノーはため息をついて額を押さえた。ヘビの姿をした髪の毛も一緒になってうなだれている。
「ところで、頭のヘビはどうしたの?」
「あいつらキーを勝手に叩いてな……。邪魔だから野生に帰してやったよ」
 メドゥーサは人間と同じ髪の毛にしていた。しかもショートカット。傍から見ると普通の引きこもり少女にしか見えない。
「かわいいだろ……ゲームのヒロインと同じなんだぜ……」
 憐れみのこもった視線を羨望と勘違いしたらしく、メドゥーサが鼻を膨らませる。
 ステンノーが叫んだ。
「世界征服!」
「……?」
「世界征服はどうしたのよ?」
 何を言っているのかさっぱりわからないという表情でメドゥーサが首を傾げる。
「あなた五千年前の、かわいらしく『せかいせいふちゅ』っていっていたときの、その、あれは、どこへ行ったの? 『がんばってせきかちゅる』っていっていたあれは?」
「ああ……懐かしいな」
 メドゥーサは追憶の眼差しを浮かべたあと、誇らしげな顔で言った。
「ステ姉……。人は変わるのだ。私はこのミュートロギア・オンラインで世界を救おうと思ってる……。大切な仲間たちとともに……」
「あんたは倒される側だろうが!」


「まさか追い出されるとはな……」
 洞窟の外にメドゥーサはいた。入口にはステンノーのヘビが睨みをきかしている。
 人間を石化するまで洞窟に入れさせません、というのがステンノーのお言葉だった。
「しかし、外はまぶしいな……。まあいい。さっさと石化してゲームに戻ろう。待ってろ、我が仲間たちよ……」
 森のなかをメドゥーサは歩きだす。
 奥行きのある現実世界にクラクラした。ごつごつとした地面ではなく、柔らかい土の地面はどうもバランスが取りにくい。
「ひさしぶりに本物の人間に会うな……」
 メドゥーサは少し緊張していた。そういえばいつ水浴びをしただろうかと、肌の匂いをかぐ。嗅覚が鈍っているだけかもしれないが、特に変な匂いはしなかった。
「……一応、距離を置いて石化しよう。……何事にもエチケットがあるからな」
 一、二時間ほど歩くと、唐突に視界が開けて、家々が見えてきた。
 町に辿り着いたのだ。
「……?」
 メドゥーサは辺りを見回す。
 誰も歩いているものはいなかった。
「まあ家にいるだろ」
 さっさと済ませてしまおうと、メドゥーサは近くにあった家のドアを叩いてみる。
「すまない。石化させてくれないか」
 何度叩いても、応答がなかった。家のなかからは生活音が聞こえてくる気がするが、空耳なのだろうか。
 次の家も、次の家も、誰も出なかった。
「おい。頼む。石化しないと洞窟に帰れないんだ……」
 切羽詰まったメドゥーサは、乱暴にドアを叩きつける。
 ドアを震わすくらいの大声が返ってきた。
「うるせえ! こちとら、いま重要な戦い中なんだ!」
「なんだと……」
 窓から家のなかをのぞきこむ。男の背中とパソコン画面が見えた。どうやらゲームに熱中しているようだ。
「失礼した……。貴君の見当を祈る」
 メドゥーサはその場所を離れた。まさか町の人たちもゲーム中毒になっているとは彼女も思いもしなかった。ほとんど娯楽のないこの島では、ネットぐらいしか退屈を癒すものがなかったのだ。基本的に漁は午前で終わる。
「はたから見ると異常だな……」
 自分のことを棚にあげてメドゥーサがつぶやく。
 人間を求めて町のなかを歩いていく。
 引きこもりで弱った体力のせいか、五分と歩かないうちに疲労がピークになっていた。
 壁に寄りかかり、ため息をつく。
「パソコンのなかだったら、いくら歩いても疲れないのだがな……」
 目を閉じる。足音が聞こえてきた。目を開ける。
 こっちに向かってくる老人を発見した。杖をついている。
「……ふふふ。これで家に帰れるぞ」
 憐れな獲物は自分が狙われているとも知らずに近づいてきた。
 石化するためには見つめ合わないといけない。
 すまん石化させてくれ、とメドゥーサは老人に言うつもりだった。しかし、実際の人間を目の前にすると緊張して言葉にならなかった。
「あ、あの……」
「あ? なんじゃ!」
 耳の遠くなった老人が大声で聞き返す。
 メドゥーサは肩をびくっと震わせる。老人がこっちをじろりと睨んでいるのはわかった。恥ずかしさと恐怖で視線を合わせられない。
(なんだこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいぞ……)
 引きこもっているあいだに対人恐怖症になってしまったらしい。それに加えて、自分の匂いが気になる。
 老人は鼻をくんくんとさせていた。
 メドゥーサは打開策として、ちらっと見ることにした。さっと顔を動かして、さっと戻すのだ。
「なんや、その奇っ怪な動きは! 新しいダンスか!」
 ちょっとずつ老人の足が石化していく。三〇秒近くかけて、ようやく膝のところまで石化できた。
 よし、この調子だ、とメドゥーサは思った。
 その矢先に、老人が叫ぶ。
「なんだ、足腰が丈夫になった。杖がいらんぞ!」
 喜んだ老人は杖を放り投げると、駆け足でその場を去っていった。
 夕焼けが町並みを染めていた。メドゥーサは一人、取り残された。


「おかえり。おいしいシチュー作ってあるよ。石化できた?」
 ゆっくりとした足どりでメドゥーサは洞窟に帰ると、ステンノーが凸凹とした鍋を使ってシチューを作っていた。ヘビが炎を吐いて鍋を温めている。
「ああ。見てくれ」
 メドゥーサはポケットから石化したカエルを取り出した。帰るとき森で遭遇したのだった。
「ステ姉にプレゼントしようか」
「んー。あらかわいい」
 ステンノーは手を口もとに当てて喜ぶ。それから小首を傾げる。
「それで石化した人間は、どこかな?」
「いないが」
「あ?」
 ステンノーのどす黒い声が洞窟に響き渡った。ヘビの髪の毛がメドゥーサの顔に迫ってくる。
「カエルしか石化してないっていうのかしら」
 メドゥーサは顔をそむけながら言った。
「……ステ姉、何を言う。命は平等だろ」


「まさか鍋ごとシチューをかけられるとはな……」
 メドゥーサの体はシチューまみれだった。洞窟の入口ではステンノーのヘビがシャーシャー言いながら回転している。 
「困ったな……」
 もう辺りは暗い。夜になっている。
「これじゃ明日のログボがもらえない……」
 ログインするたびにゲーム内通貨と回復薬がもらえるのだった。また町へ行って誰か石化するしか方法はなかったが、メドゥーサの体力はもう限界だった。
 地面に倒れこみ、ため息をつく。
「……しかし、見つめ合うのがあんなに恥ずかしいとはな」
 ヘビの髪の毛があったころは、何もしなくても人間の方が恐怖でおののきながら自分を見てくれた。
 しかしいまはメドゥーサとして一対一で見つめ合わないといけない。しかもヘビがいないせいもあり石化にも時間がかかる。カエルのときでさえたっぷり二秒かかった。
「このままだと一生ゲームができない……」
 そもそも島には住民が少なすぎるのだ。しかも町まで遠い。
「……こういうときは友に限る」
 スマートフォンを取り出すと、メドゥーサは友人に電話をかけることにした。
「もし」
 電話に出たのは、イザナミノミコトだった。日本の女神である。死んでいる彼女には石化が効かないらしく、メドゥーサにとって心許せる相手だった。二回ほど現実で会ったことがある。
「イザちゃん、ちょっといいか」
「誰だよ」
「メドゥーサだよ、メドゥーサ」
「どうした。この世の終わりみたいな声の調子じゃないか」
「このままだとミュートロギア・オンラインにログインできないんだ。世界を救うことができない……」
 メドゥーサはこれまでの出来事を話した。話しながら頬についたシチューを舐めとってみたが、しょっぱくて顔をしかめる。
 イザナミノミコトが興味なさそうに言う。
「ふーん。あんたも大変だね」
「……ああ。早急に石化しなくてはならない。目と目が会っても恥ずかしくない相手ってわかるか?」
「犬」
「かわいいのは駄目だ」
「ブルドック」
「駄目だ。想像しただけで顔が赤らむ。……それに人間じゃないとステ姉は許してくれないって言っただろ」
 メドゥーサは今日何回目かわからないため息をつく。目の前にある森の葉っぱの塊が揺れて音を立てている。自分をあざ笑っているかのようだ、とメドゥーサは思った。
「別にさ、石化しなくても、日本に来て新しいパソコン買えばいいじゃん。最新型のいっぱいあるよ」
「なるほど。その手があったか」


 さっそくメドゥーサは泳いで日本に渡った。泳いだといっても、ほとんど鯨やイルカの背中で寝ていただけだった。
 イザナミノミコトの言ったとおり、東京のお台場から陸にあがる。眩しいほどの晴天だった。これなら濡れた服もすぐかわいてくれるだろう。
 スマートフォンで位置情報を確認する。
「……ここから、秋葉原なる土地を目指せばいいのだな」
 イザナミノミコトは先に言って待っているらしい。
 歩き出すと、見渡すかぎりあちこちに人間がいた。メドゥーサが住んでいた島では考えられないほど大きな建物がそびえている。
「ふーむ。電車という巨大なヘビみたいなものに乗ればいいらしいが……」
 スマートフォンの地図をぐるぐる回転させても、どこをどう行けば駅につくかわからなかった。
「もしかしてきみ困ってるの?」
 貴金属を顔中に埋めこんでいる男が、メドゥーサに話しかけてきた。メドゥーサはうつむきながら答えた。
「……電車に乗りたいのだが……」
「オッケー。俺が切符を買ってきてやるよ。財布は?」
「ここにある」
 メドゥーサはカエルの財布を取り出した。
「さんきゅー」
 男がさっと奪いとると、走ってその場を去っていく。
 小さくなっていく背中を見ながら、メドゥーサは心穏やかな気持ちになっていた。
「……そんなに急がなくてもいいのに。現実世界にもいいやつはいるものだな」
 走っていた男の体が急に前のめりに倒れた。
 急に青年が現れて、男の腕をしばりあげたのだ。辺りが騒然となっている。
「大変だ!」
 どうやら強盗が現れたらしい。善良な男を助けようとメドゥーサは駆け寄っていった。
(しかし……、二人も人間がいると恥ずかしさも二倍だな……)
 メドゥーサは片手で顔を隠すようにしながら近づいていった。
「そ、その男を離せ」
 捕らえられた男は苦悶の声をあげていた。
 青年がメドゥーサの方を向く。指の隙間からのぞきこむと、なかなかの好青年だった。
 背が高く、顔が整っている。ゲームの主人公のような風格をともなっていた。
「これはおまえの財布だろ」
 カエルの財布がさし出される。びっくりしてメドゥーサは上半身を逸らした。
「そ、そうだが。彼は私のために……」
「万引きだ」
「なんだと……。そういうものなのか」
 確かに逃げるように去っていったな、とメドゥーサは思い返す。てっきりあれは日本流の礼儀だと思っていた。
 財布を受け取る。
「……よく戻ってきたなカエルくん。もうおまえを離しはしないぞ」
 青年は訝しそうにメドゥーサを見た。視線を感じてメドゥーサは顔をそむける。落ちている石に視線を合わせた。
「日本ははじめてなのか?」
「……まあ。そうだ」
「よかったら、俺が案内してやろうか。そのまえにこいつを警察に連れていくが」

 
 メドゥーサと青年は電車に揺られている。
 心やさしき青年に、連れていってもらえることになったのだ。ちょうど青年も秋原葉に用があるらしい。恥ずかしさで死ぬとメドゥーサは思ったが、ゲームのために背に腹はかえられない。もう三日もログインできていなかった。
 車内には大量の人間がいたが、ドアの窓から景色を見ることで難を逃れていた。金属のドアにおでこをくっつけると、その冷たさから洞窟での生活を思い出す。
 慣れない土地でメドゥーサははやくも心細さを感じていた。
 自然とため息がこぼれる。
 ちらっと青年の方を見ると、同じように窓の外を眺めていた。
 おでこから伝わる震動を感じながら、メドゥーサは言う。
「……さっきはすまんな。助かった」
「いや。大したことはしてない」
「こうして連れていってくれて、何から何まで恩に着る……」
「……」
 青年は黙った。目には強い意志がこもっていた。
「笑われるかもしれないが、俺は悪が許せないんだ」
「……私もそうだ。私も世界を守るために日夜戦っている」
 メドゥーサが言っていたのはもちろんゲームのことだったが、彼女にとってはリアルよりミュートロギア・オンラインの方が大切だった。
 メドゥーサはじいっと青年に視線をそそいでいる。見つめ合わない限りは石化しないことがいまはありがたかった。
 青年は笑みを浮かべながらメドゥーサの方を見た。顔を赤くしながらメドゥーサは視線を窓へと逸らす。
「変なやつだな」
「……そうなのか。自分ではよくわからないが」
「俺が言えたことじゃないけどな」
「何を言う……。悪は滅ぶべきだ」
「俺は正義のために戦う」
「私もだ」
 青年とメドゥーサは神妙な顔つきでうなづきあっていた。
 近くにいる乗客が「なんだこいつらは」という目で見ているが、二人は気にもとめていない。
「……なぜかはわからんが、おまえとははじめて会った気がしない」
「私もだ……」
 メドゥーサの心のなかには、いつの間にか心細さがどこかへと消えていた。

 
 秋葉原に降りたったメドゥーサは、あまりの人の多さに頭が痛くなりそうだった。青年の後ろに寄りそうようについていく。
 あちこちから人の喋り声や、電子音がする。
 メドゥーサの目を惹きつけたのは、ゲームセンターだった。
「かわいそうに。閉じこめられているぞ」
 ガラスのなかに大量の動物のぬいぐるみが押しこめられていた。ガラスに両手をつけて囚われのものたちを見る。
 青年が後ろから言った。
「これはUFOキャッチャーというんだ。お金を入れて取るんだ。俺もはじめて見たときは悪の仕業だと思ったんだが」
「そうか……」
 メドゥーサの視線はガラスのなかのカエルに釘付けになっていた。
「どれ」
 青年がお金を入れる。アームを動かすとカエルのキャラクターのぬいぐるみを掴んで見事穴に落とした。
「ほれ」
「……いいのか?」
 カエルのぬいぐるみは手のひらくらいの大きさしかなかったが、メドゥーサは心の底から喜びが湧きあがってくるのを感じていた。
 ふと顔をあげるとゲームセンターの奥にはずらりとゲームが並んでいる。
「すごい。ゲームがいっぱいある……」


 メドゥーサはあらゆるものに目をとめたが、文句を言うことなく青年は付き合ってくれた。
 二人はクレープ屋のまえに立っている。
「悪いな……」
「いや俺も助かっている。こうしていれば敵も俺に気づかないだろ」
「敵……。すごいな。本当に正義の味方なんだな……」
「まあな」
「……おいしい」
 メドゥーサはクレープを食べて驚きの声をあげた。あまりのおいしさに咀嚼を終えないまま、もう一口かじる。
 青年は穏やかな眼差しでメドゥーサのことを見つめていた。それに気づかず、メドゥーサは満足そうに微笑んでいた。
(現実世界も楽しいものだな……)
 メドゥーサは秋葉原観光を満喫していた。
「ところで用事はいいのか」
 青年の一言で、すっかり目的を忘れていることに気づく。
「……そうだ。パソコンを買いに来たんだった」


 入ったお店では、パソコンがずらっと並んでいた。とはいっても、どれがいいものなのかメドゥーサにはさっぱりわからない。
「……欲を言えばぜんぶ欲しいところだが、そんなに持てないしな」
 店員の勧められるままに、最新式のノートパソコンを選んだ。webカメラやタッチパネルがついているらしいが、ゲームができればそれでよかった。
 ノートパソコンの入った紙袋を抱えてメドゥーサはお店から出てくる。
「よし。これで目的は達せられた……」
 ようやくミュートロギア・オンラインができるというのに、途端に物寂しい気持ちに襲われた。
 隣に立っている青年を見上げた。それなりに一緒にいたからか、視線を合せないようにするのに慣れはじめている。
 目的が達せられたということは、青年がメドゥーサと一緒にいる理由はなくなったということだ。
「……貴殿はどうするんだ。用事があるんではないのか」
「ああ。だが……」
 メドゥーサのスマートフォンがぶるぶると震えだした。
「失礼」
 慌てて出ると、イザナミノミコトの拗ねた声が聞こえてきた。
「あんた。約束したのにすっかり忘れちゃってさ」
「……イザちゃんか。すまない」
 秋葉原で落ち合う約束を思い出す。そもそも日本に来たのはイザナミノミコトが言ったからだったのに、すっかり忘れていたのだ。
「しかしパソコンは手に入れたぞ。これで世界を平和に導くことができる」
 伝説の剣のように、紙袋を高く掲げた。
 電話の向こうのイザナミノミコトの声が焦ったようなものに変わった。
「ちょ、あんたいまどこにいるの?」
「ん……」
 メドゥーサは振り返ってお店の看板の名前を読み上げた。
「……自分が誰と一緒にいるかわかっている?」
「誰って?」
 そこではじめてメドゥーサは青年の名前を知らないことがわかった。名前を知らないどころか素性もよく知らない。
 正義心あふれる心やさしい人物だ、とメドゥーサは思っていた。
 イザナミノミコトのため息が聞こえてくる。
「いい。いますぐそいつから離れて、右手にある路地をまっすぐ進みなさい」
「すまぬが、少し待っていてくれ……」


 路地をまっすぐ進んでいくと、思いっきり腕を掴まれた。そのまま建物の壁に押しつけられる。
「あんた、何してるのよ」
 怖い表情をしたイザナミノミコトの顔が目の前にあった。狐のように細い目がさらに細くなっている。
「……買い物だが」
 メドゥーサには、イザナミノミコトが不機嫌な理由がわからなかった。
「あれ、ペルセウスじゃない? あんたの宿敵でしょ。殺されたいの」
「そうか。どうりで見たことあると思ったな。……何千年ぶりだからお互い変わってしまった……」
 メドゥーサは他人事のようにつぶやいた。
「とっとと、やっつけちゃいなさい」
「駄目だ。……できない」
 メドゥーサは首を横に振った。
「あんたは悪よ。悪。忘れたの?」
「……話しあえばわかってくれるさ」
「バカ。知らない。勝手に殺されろ」
 イザナミノミコトはメドゥーサに背中を見せると、すっと消えてしまった。


「実は……私はな……」
「おまえだから話そう」
 戻って青年に自分がメドゥーサであることを伝えようとしたが、そのまえに青年は話し出した。
「近いうちに、日本で数多くの人間が石化されるという予言を受けた。おそらくメドゥーサの仕業だ」
「……」
 メドゥーサは絶句する。
 新しいパソコンも手に入ったし、そんなことをするつもりはなかった。
「どうやら東京のどこからしい。そうだ。おまえも手伝ってくれないか。一緒に悪しきメドゥーサを倒すんだ」
「……それは、本当なのか?」
 ペルセウスは真剣な表情でうなづく。
「もし、……それが嘘だったらどうする? メドゥーサが何もしなかったら。改心したとしたら」
「それでも俺はあいつを殺すつもりだ」
「なぜ……?」
 ペルセウスはメドゥーサの悪行の数々を連ねた。
 ほとんど言われのない噂だったが、なかには本当のこともあった。メドゥーサは数千年前の自分の行いを恥じた。
 自分が現実世界では悪であることを改めて認識する。
 そして、ペルセウスの倒す相手であることも。
 ペルセウスはメドゥーサに向かって片手を差しだした。
「一緒にメドゥーサを倒すのを手伝ってくれないか」
 差しだされた手のひらをメドゥーサは悲しい眼差しで見つめていた。
「……いや……私はもう帰るよ。いままでありがとう……」
 メドゥーサはとぼとぼとその場から離れだす。
 ペルセウスが何か言葉を言ったが、メドゥーサの耳には届かなかった。
 何もかもが歪んでみえる。
 頭のなかに次々と言葉が浮かんでいく。
(何が悪を倒すだ。……私がそもそも悪なのではないか。人間をを石化するんだ。殺されて当然だよ。あまつさえ私は、ゲームのために言われるがまま石化しようとした。何が正義だ。私には不可能だ。そうだ。思い出せ。私がいていいのはここではない。ミュートロギア・オンラインだ。そこでなら私はヒーローになれる。世界を救えるのだ)
 ため息をついて、メドゥーサは立ちどまった。
「そこのお嬢さん。ちょっとインタビューいいかな」
 呼びかけられてメドゥーサは顔をあげる。
 巨大なカメラが目の前にあった。
 どうやらテレビカメラのクルーらしい。
(どうだっていい……)
 虚ろな表情を浮かべたまま、メドゥーサはじっとカメラの丸い部分を見つめた。


 悲鳴が響きわたる。
 はっとしてメドゥーサは辺りを見回した。
 あちこちで人々が石化している。石化していない人間も突然の出来事にパニックになっていた。目の前のカメラを持った人間も石化している。
 ビルの巨大テレビに自分が映しだされていることに気づく。画面の左上にはLIVEという文字が浮かんでいた。
「……まさか」
 メドゥーサは慌ててカメラの前から移動した。しかし時はすでに遅かった。
 ペルセウスが受けた予言通り、テレビを通して大量の人間が石化していた。
 メドゥーサはどうすることもできず辺りを見回す。
 生き残った人間たちは彼女の姿を見ると、みんな悲鳴をあげて逃げていく。
「嘘だったのか」 
 声のする方を向く。怒りに満ちたペルセウスの姿があった。メドゥーサの足元をじっと睨みつけている。
「正義のために戦っているというのは、俺をだますための卑劣な策か。メドゥーサよ……」
「ち、ちがう。……こんなつもりはなかったのだ。私は本当に正義の――」
「おまえとはわかりあえると思ったのに……」
 ペルセウスが苦悶の表情を浮かべる。
 手をかざすと、光の剣が現れた。
「おまえを倒し、世界を救う」
 メドゥーサのもとへ斬りかかってくる。
 メドゥーサはそれをぼんやりと眺めていた。ペルセウスを石化させてしまわないように目線を少し下げる。
(……そうか。私が死ねばみんなは……)

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