一覧へ トップへ 感想へ
レイスブルクの魔獣士
2 3 
 かつて世界には魔物がはびこっていた。
 伝承によれば、魔物はもともとは人間であったそうだ。
 主のご慈悲に背き、心を悪魔に破られ、身体が魔物に変わったという。
 魔物は人々を襲い、その血肉を食い漁った。
 人々は高い壁や深い堀を巡らして、魔物から身を守った。
 魔物になった人間は、城壁の外へ追放するのが掟だった。
 ある時、掟を逸脱する男が現れた。
 彼は魔物を家畜のように飼いならした。
 彼の名はセイケリオス。

 人々はセイケリオスを危険な人物だと噂した。
 魔獣は、当時神に背いた悪魔の手下と信じられていたから無理もない。
 時の権力者は、彼を反逆者とみなし、追放した。
 彼は遠い大陸へ流れつき、そこで姫を娶って王国を築いた。
 その王国の名はレイスブルクという。
 彼の一族は魔獣を率いて周辺の部族と戦い、多くの勝利を収めた。
 時は王国歴178年。王国には魔獣を率いる騎士が7人いた。
 尊敬と畏怖の念をこめて、彼らはこう呼ばれた。
 「レイスブルクの魔獣士」と。

 1.
 王国歴178年3月12日深夜遅く。暗闇に包まれた荒野のなかで、オニールは身を震わせながら夜明けを待っていた。たき火して暖を取っているが、北西からの凍てつくような夜風をまともに受けては、身体が冷えるのも無理はなかった。
 オニールは王国で7人いる魔獣士の1人。多くの戦いで功名を高め、今は百人長の位にある。強力な魔獣を率いる歴戦の勇者だ。背が高く身体は無駄のない筋肉でおおわれている。肌は荒くくすんでいて、瞳は宝石エメラルドのように輝いていた。
 近くには、鉄の檻を乗せた荷馬車が止まっている。檻には、様々な種類の魔獣が、寒さを凌ぐためにひとかたまりになって眠っていた。犬ほどの大きさのがいれば、全長3メートルほどの人型の魔獣もいる。彼らはまるで家族のようにすっかりお互いを信用して、身を寄せ合っているのだ。
 オニールの傍では、少女が粗末な毛布にくるまって眠っている。毛布があってもまだ寒いのか、眠りながらも時々身を震わせた。
 彼女は王太子リチャードの腹違いの妹・ヒルダ。その美しさは遠い貿易国まで噂になっていたという。周りの者に好かれる心優しい姫であった。その彼女は理由があって密かに城を抜け出し、オニールと行動を共にしていた。
 だがオニールは後悔していた。彼女が強く望んだこととはいえ、この辛い旅に同行させたのは間違いだったのではないかと。頑健な肉体をもつ彼でさえ、レイスブルクの荒野で夜をすごすのはつらいことだ。身体の弱いヒルダなら、なおさらだろう。
 オニールの近くで寝ていた猟犬のココが、ふと目を覚まして頭をあげた。長く白い毛並みが美しいモロシア犬の若い雌だ。家族や仲間には赤子のように甘えるが、いざ戦闘になれば熊にさえ果敢に襲い掛かる優秀な猟犬である。盗賊か魔物が近づいてきたのかと勘違いして、オニールは長剣を手にした。しかしココは静かに暗闇の方向を見つめているだけだった。その方角から、白髪の老人がロバをつれて歩いてきたのが見えた。片足がなく、杖をひきずっている。
「マルコム卿!」
 オニールはあわてて老人のもとへ走り寄った。
「どうしてついてきたんですか。その足で」
「おや、老いぼれは足手まといだといいたいのかね?」
 マルコムは自虐するように嘲笑した。
「いえ、とんでもないことです。あなたの知恵と黒魔術はとても頼りになります。でも、どうして?」
「決まっておる。ワシも老いたりといえども宮廷の臣下なのだ。姫を放っておいて家で安眠することなどできぬことだ」
「マルコム先生がいらしているのですか?」
 ヒルダはゆっくりと上半身を起こした。
「おお、ヒルダよ。睡眠を邪魔して悪かったな。話は朝が明けてからゆっくりするとしよう。今はお休み」
 マルコムは、まるで子どもを寝かすように、ヒルダに毛布を掛けた。
「わたし、ひょっとすると先生が来てくれるんじゃないかと思ってました。やっぱり先生はお優しい方ですね」
「ふふふ、そうかね。ヒルダに好かれたいという下心かもしれんぞ」
「まあ、先生ったら」
 ヒルダは軽く笑い、目をつぶった。ココが毛布にもぐりこむ。しばらくしてヒルダから寝息が聞こえるようになった。オニールはお茶を沸かしてマルコムに渡した。
「オニールよ、ヒルダ姫がいなくなったと聞いて、ワシは肝を冷やしたぞ」
「すみません、マルコム卿。しかし俺は――」
「わかっておる。お前がヒルダ姫を誘うわけがない。そんなことはワシがよくわかっているよ」
 マルコムはオニールの肩をやさしく叩いた。

 2.
 それは5日前の早朝だった。オニールは、実質的な支配者であるリチャード王太子から突然の呼び出しを受けた。
 都市国家レイスブルクでは、国王エッカート2世が病の床に伏して以来、王太子のリチャードが親に代わって軍政ともに指揮を執っている。リチャードの器量は偉大な始祖と比べるべくもなく、凡庸な父親と比べてもかなり見劣りするというのが、宮廷の内外の主な声だった。
 その能力に劣った王太子が、政治家や領主のすることにいちいち口出しするから、王政は混乱を極めた。「無能な味方は敵の騎士よりも脅威だ」というのは本当だと、人々は嘆くようになった。
 オニールが呼び出された理由。それは玉座に届けられた急報にあった。東の国境近くの集落で、見たこともない怪物が現れて、羊や豚などの家畜を襲っているというのだ。集落の被害は多かった。そこの騎士が農民兵を率いて退治に行ったが、夜明けになって血だらけの死体になっているのが見つかったそうだ。
 リチャードはすぐ応援を出すことにした。ここまでは権力者としては当たり前の行為だ。だがリチャードは、怪物退治に名乗りを上げた騎士を無視して、オニールにその怪物の退治の命令を下したのだ。しかも驚くことに、遠征に兵士は連れて行ってはならないとか、連れていく魔獣は5頭までと勝手に決めてしまったのだ。
「それはいったいどういうことでしょうか、殿下」
 オニールとしては聞き返さずにはいられなかった。周りの者は何も言えずにいたが、心は同じだっただろう。
「貴様、俺の命令が聞けぬというのか」
「とんでもないことでございます。ただし連れていく手勢は派遣される騎士に任されるというのが通常です。ぜひ理由をぜひお教えください」
「簡単なことだ。多くの兵士と魔獣どもを連れて行けば、城の守りは薄くなってしまう。だから連れていく魔獣を制限したまでだ」
「お待ちくださいませ、殿下」
 近衛隊長ブライアンは食い下がった。身の丈二メートルになる大柄な戦士だ。
 大柄な背中に、真っ赤なマントをまとっている。十字架と、魔獣の代表格であるドラゴンを現した『十字ドラゴン』の紋章だ。マルコムやブライアンなど13人の廷臣しか着用を許されていないマントだった。
「国境の怪物は情報が不足していて、その能力はまだ明らかになっておりません。今は調査隊を派遣して敵の正体を明らかにし、対策を練るのが肝要かと心得まする」
「そんな悠長なことをしている場合か。今すぐ退治せねば被害が広まるばかりではないか!」
「しかし!」
「もうよい、さがっておれ! オニール、戦果を出すまでは城に戻ることは許されぬ。わかったか!」
「御意のままに」
 オニールは歯嚙みする顔を見られまいと、王太子に深く頭をさげた。
「お待ちください。兄上!」
 可憐な声が王座の間に響いた。赤いドレスを身にまとったヒルダが入口から走り寄ってきた。リチャードは怒鳴り散らした。
「ヒルダ、俺のことは兄上と呼ぶなといっただろう!」
「申し訳ございません、殿下。しかし……」
「しかしも何もあるか! 俺の命令は陛下の命令だぞ! 陛下の命令に背く者は、死罪と決まっておるのだ!」
 もうこうなると、子どもが思い通りにならなくて当たり散らしているようなものだ。誰の讒言にも耳を傾けようとはしない。
「お静まりくださいませ、殿下。百人長オニール、非力の身ではありますが、必ずや怪物を倒して御覧に入れます。ヒルダ姫もどうぞお心を安らかにお待ちください」
 ヒルダに咎が及ばぬように、オニールは早口に言いまくると、もう一度深く頭を下げ、逃げるように玉座を後にした。

 3.
 時を5日後に戻す。
 荒野に朝日が昇るようになってから、オニールは檻の扉を開けた。
「朝だぞ。さあ出ておいで」
 真っ先に飛び出てきたのは、二つ首の犬の魔獣・オルトロスのパリス。大型犬ほどの大きさで、黒い毛並みをしている。伝説に出てくるオルトロスは地獄の番犬ケルベロスの弟だが、パリスは同じ系統だ。蛇の尻尾をちぎれんばかりに振りながら走り出した。
 次に出てきたのは獅子の頭、山羊の体、竜の尾を持つ魔獣・キマイラのケイオス。全長3メートルほどの大柄な身体で、鷲のような大きな翼を持つが飛ぶことができない。太古の昔には飛ぶことができたようだが、今となっては、翼は退化してただの飾りになってしまっている。重い足取りで荷馬車から降りた。
 そのケイオスの背中にしがみついているのがハーピィのアエロー。アエローは女のような顔と鷲の身体と翼、鷲の爪を持つ怪鳥だ。体長はおよそ50センチほど。翼を広げれば4メートルくらいにはなる。まだ眠いのか、大きく欠伸をした。
 ケイオスの後ろからついてくるのが、オーガーのカドモス。3メートルほどの巨大な鬼の一族だ。土気色した体毛を全身に生やし、腰蓑をまとっている。カドモスは頭をぶつけるので、身体を横にして窮屈そうに入口から出てきた。地面に降り立つと大きく伸びをした。
 最後にもう一匹、まだ檻から出てこない者がいた。それどころかまだ眠っているようで、身体を丸めてすやすや寝息を立てている。茶色の皮鎧を着込み、膝下まで届く黒のボトムスを履いている。硬い鱗を全身にまとったデミヒューマン、ドラゴニュートのヤスだ。
「おいヤス、いい加減に起きろ」
 檻をたたいても、大声を出しても、唸るばかりで起きる様子がない。
「そうか、ヤスは朝飯がいらないんだな。それじゃあゆっくり寝ていろよ」
「ちょっと待ってください旦那さん。そりゃないですわ」
 ヤスは、ガバッと跳ね起きて叫んだ。そして飛ぶように檻の外へ降りて行った。
「おはようございます、姫様。いやあ今日も一段とお美しいですな。おや、マルコムのおっさんもいるじゃないですか。いったいどうしたんです?」
「相変わらず口の減らぬ魔獣だ、お前は」
 マルコムはやれやれといった様子で言った。だが嫌っていないのは、声を聞けばわかる。
「なに言ってますの、マルコムさん。オレはデミヒューマンですぜ。デ・ミ・ヒュー・マ・ン。OK?」
 ヤスの言う通り、彼は魔獣ではない。だが王国では、人と家畜以外は魔獣であるという浅い認識しかない。遠い国から流れてきたデミヒューマンを誤認するのも無理はなかった。
 今から2年前、ヤスが王国の魔物狩りにあった時、たまたまオニールと出会うことができた。オニールはすこしヤスと話してみて、面白い奴だと言って檻から出してくれた。ヤスは恩を感じて、志願してオニールの部隊に入った。それからずっとヤスはオニールの良き友として行動を共にしていた。
「わかった、わかった」マルコムは面倒くさそうに答えた。
「さあ、飯にしようぜ!」
 オニールが言うと、パリスとココが並んで仲良くワンワンと吠えて、尻尾をぶんぶん振り回した。この2匹には、干し肉の塊がいくつか入ったバケツを3杯置く。パリスは頭が2つあるので、半分ずつわけてやらないとお互いに喧嘩をして始末に負えないのだ。ケイオスのエサは特大だ。ワンワン組の5倍はあるバケツに頭を入れて無心で咀嚼している。ヤスとカドモスは正座して肉入りのオートミールをかっこむ。食欲旺盛なので、ふたりとも何杯もおかわりをした。ハーピィのアエローは小食で、平皿に盛られたナッツだけで済ませる。
 食事が配布され終わったら、今度は人間たちの食事だ。ヒルダ姫がいてもご馳走がでるわけではない。黒パンと少しの干し肉、オートミール、塩っ辛いスープの質素な食事だ。
「いいかね、ヒルダ。君に話しておかなければならないことがある。気をしっかり持って聞いてほしい」
「は、はい」
 ヒルダは緊張した面持ちで言った。
「オニールはすぐ城を出てしまったので知らないだろうが、ヒルダは君のことでリチャード殿下と大喧嘩をした。皇后さまを巻き込んで」
「そ、そうなのですか?」
 オニールは思わず尋ねた。ヒルダは何も言わなかった。マルコムは尋ねた。
「喧嘩の理由を彼に説明したほうがいいんじゃないかね?」
「いいえ、オニール卿には関係ないことです」
 ヒルダは何度もかぶりを振った。
「そうかね、ではやめよう。だが、これだけは言わねばならない。殿下はヒルダにおっしゃったのだ。『エドワード叔父とよく似ている』とね。要するに、ヒルダも謀反を考えているのではないかと言ってるのも同じなのだ」
 エドワードについては、新参者のオニールも耳にはしていた。今から14、5年前に王座を簒奪しようとして失敗し、王族としての地位をはく奪された。その後、国境の牢獄に幽閉されて、しばらくした後、病死したと伝えられている。
「リチャード殿下は、ヒルダのことについて、皇后さまと密議を重ねたようだ。そして間もなく、隣国のサウスウェールズとの王族との婚約を進めることにしたのだ」
「そ、そうだったのですか」
 オニールはヒルダの顔を伺った。ヒルダの顔がみるみるうちに曇っていく。
「他の国の、知らない殿方との婚約など、わたしは嫌です! それについては何度もお断りしたはずです!」
 オニールはいたたまれなくなって、ヒルダから視線を外した。彼女はオニールと離れがたく、婚約を拒否し続けているのだ。黙ってはいるが、それが原因で兄と仲たがいしているに違いなかった。
「ヒルダがそこまで嫌がるなら、わたしも無理強いはしない。だが理解はしてほしい。婚約は、破たんした外交を修復するための重要な手段のひとつだった。それをふいにされたと、おふたりはお考えなのだよ」
「兄上と皇后様は、わたしを憎んでおいでなのでしょうか」
 ヒルダの声は震えていた。マルコムはヒルダの肩を優しくたたいた。
「ヒルダ、心配だろうが、ここは耐え忍んでおくれ。レイスブルクは今、非常に危うい状態なのだ。ここで他国に付け入るような隙を見せては王国の存亡にかかわる」
「これからどうなされるおつもりなのです」
 オニールは率直に尋ねた。
「その前にヒルダ、城に帰るつもりはないのかね?」
「ありません」
 マルコムの問いに、ヒルダは声を落とした。
「わたしのわがままでご迷惑をおかけして申し訳なく思います。でも、どうしてもオニール卿の力になりたかったんです」
「姫、しかしそれは……」
 オニールは反論しようとして言葉を失った。
「いいでしょう? 修道院育ちだったから、いちおうは聖職者としての素養は身につけているんです。白魔法も基礎の部分だけですけど、ちゃんと扱えます。それに自分の身くらいは自分で守れます。だから……」
「いいんじゃないかな」
「本当ですか、先生!」
 ヒルダの顔が輝いた。オニールが慌てる。
「マルコム卿、本気ですか?」
「実は、私もヒルダを誘おうとしていたところだったのだよ。なぜかといえば、どうせ姫のことだ。城に戻れと言ったところで、正直に戻るわけがない。それならいっそのこと一緒に置いて守っていたほうが安全だ」
「それで、リチャード殿下と皇后さまはどうされるのでしょうか?」
 オニールが尋ねると、マルコムは意地悪そうな表情で笑って言った。
「この件についてはベネディクト卿に一任したよ。この件については私より彼のほうが一枚も二枚も上手だからね。彼はかなり嫌そうな顔をしていたが、まあ彼に任せれば、たぶん大丈夫だろう」
「はあ、そうですか……」
 オニールもヒルダも、ベネディクト卿のことはあまり知らない。宮廷ではよく顔をあわせるので挨拶くらいはする。だが彼は宮廷という紳士淑女の社交場で、彼はマルコム以外ほとんど友人を持とはしないのだ。彼が何を考えているのか、余人に知る余地はなかった。
 とはいえマルコムが任せられると言うなら、信用していい人物なのだろうと、オニールは思うことにした。

 4.
 マルコムの提案で、ヒルダ姫はオニールの部隊と一緒に東の国境へ行くことになった。ついでにマルコムも一緒だ。言い出した本人としては、ついていかなくてはならないからだった。
 食事が終わったら移動を開始する。マルコムはロバに、ヒルダは自分の乗馬に乗っている。パリスとココは尻尾を振りながらヒルダの後ろを追いかけている。その他の魔獣はいったん檻の中に入って大人しく運ばれている。オニールとヤスはふたり並んで荷馬車の御者席に座っていた。
「しっかし、マルコムのおっさんが姫の同行を許すとは思いもしませんでしたなあ。ねえ、旦那さん」
「ああ、まったくだ」
 白馬にまたがったヒルダを横目で見ながら、オニールはうなずいた。
「姫が修道院から出た5年前から、マルコム卿は教育係を担当している。俺よりもずっと前から姫をお守りしてきたお方なんだ。それがどうして……」
「あんまり難しく考えんほうがいいと違いますか。おっさんはおっさんで考えがあるんでしょ」
「そうかな」
「そうです。まあ、なにかあったとしても」
 ヤスは腰のカットラスを抜いた。
「この魔剣ムラマサが火を噴くだけですがな」
 鞘には下手くそな字で「ムラマサ」と刻まれていた。
「まあ、そうだな」
 嗅覚に鋭いワンワン組がいるから、盗賊や魔物が近づいてもすぐに感知することができる。奇襲の心配は不要だった。さらに今回は正体不明の怪物と戦うために、オーガーのカドモスとキマイラのケイオスを用意している。黒魔術に長けたマルコム卿もいる。
 心配しすぎなのかもしれないと、オニールは思うようになった。

 旅の途中、何度か盗賊や魔物の群れに遭遇した。だがなまじっかな盗賊など寄ってきても、パリスが牙をむき出しにして唸りだすと、さっさと逃げ去ってしまう。
 それでもマルコムが合流してから3日後の夕方ごろ、久しぶりに戦闘が起こった。場所はなだらかな段差の続く草原地帯だった。パリスとココが、遠くの丘を見て唸りだした。丘の頂上から走り寄ってくる騎馬隊が認められた。
「ヒルダ、馬車の後ろへ!」
 マルコムが叫ぶ。
 襲ってきたのは10人近くの騎馬兵だった。徒歩の従者はなく、全てが騎兵である。全身に鎖帷子を身にまとい、その上に頑丈な胸甲を重ねている。防御性の高い装備だ。いずれの騎士も、遠目からでもわかるほどの良馬に乗っている。ただの盗賊とは思えなかった。
「魔獣ども、出てこいや!」
 ヤスが檻の扉を解き放つ。
 10人の騎士が2列になって吶喊をかけてくる。
「パリス、炎を吐け!」
 オニールの命令に、二つ首の魔獣が、紅蓮の炎を吐き出した。先頭の2人の騎馬兵が炎にまかれた。炎は馬にも広がり、あらぬ方角へ走っていく。残り8人は気にする様子も見せず、果敢に駆けてくる。
 その時、騎馬兵の上空から黒い影が舞い降りた。ハーピィのアエローだ。彼女は素早い身のこなしで降下すると、その勢いを借りて騎士の側頭部を蹴りつけた。騎士はたまらず落馬し、後続する味方の騎馬に踏みつけられた。
 ケイオスが疾走した。キマイラの最大の武器は脚の早さである。走り出してから1秒もしないうちに、最大で時速60キロメートルまで加速することができる。巨体の魔物が馬よりも早い速度で襲い掛かるのだ。よほど肝の据わった兵士でなければ、彼の走る姿を見ただけで逃げ出してしまうだろう。だが相手も古強者のようだ。スピアを構えて迎撃の態勢を取った。
「ココ、行け!」
 ココは側面からスピア兵に襲いかかった。不意を突かれた騎兵は騎士盾で攻撃を防ぐ。その隙にケイオスが飛びかかった。300キロを超える魔獣に横からとびかかられては、さすがの騎馬も立ってはいられず、派手に横転した。スピア兵は騎馬の下敷きになり、悲鳴をあげた。
 マルコムは懐から植物の塊を獲りだすと、高らかに呪文を唱えた。その声は、まるで歌劇にでてくる歌手のような美しい低音だった。植物のツタが急激に伸びていき、ふたりの騎馬兵の体をがっちりと掴んでしまった。オニールとヤスが駆け寄って、身動きの取れない騎士を容赦なく斬り捨てる。悲鳴と共に鮮血が噴出した。
「オニール、ヒルダに一騎行ったぞ!」
 マルコムの声にオニールは振り返った。遠回りしてオニールたちを迂回し、直接ヒルダに向かおうとしていた。ヒルダの悲鳴が響く。
「カドモス、迎え撃て!」
 オーガーのカドモスは、大きく雄たけびをあげた。幼児の体ほどの大きさの棍棒を片手にもつと、騎兵にむけて無造作に振りぬく。敵の長剣の刃をへし折り、馬もろとも棍棒を撃ちつける。騎馬兵は血まみれになりながら、馬と一緒に吹き飛んだ。
「ありがとう、カドモス」
 姫の声に、カドモスはうれしそうに唸り声をあげた。
「くっ、引けっ、引け!」
 銀色の兜をかぶった年長者らしい騎士が叫んだ。3人の騎士は、まだ馬の下敷きになっている味方を見捨てて、来た道を取って返した。
「アエロー、逃がすな!」
 アエローは逃げる騎士の背後に飛びかかる。騎士の両肩をしっかりつかんで羽ばたいた。ジタバタと抵抗する騎士には気にも留めず、大きな半円運動を描いて飛びながら、オニールの足元に騎士を投げ捨てた。ふたりの騎士は全力で逃げ去った。
「おや、おヒゲがびっしりですな。剃ってあげましょか。それとも首を剃ってほしいでっか」
 ヤスは騎士の首元にカットラスを突きつけて言った。騎士の周りにはパリスとココ、ケイオスが近寄っていて、今にでも騎士をかみ砕くように唸り声をあげていた。振り返れば、すでにもうスピアの騎士は荒縄で両腕を縛られて捕虜になっていた。
「わかった、私の負けだ。降参しよう」
 騎士はため息をついた。圧倒的な戦力差を見せつけられて、抵抗の意志などどこかへ吹き飛んでしまったようだ。

 5.
「はあ、敵を逃がすんですかあ?」
 ヤスは素っ頓狂な声をあげた。
「なんでわざわざ逃がしてやるんですか。拷問にかけて、どこの国から来たのかとか、何の目的があったのかとかを吐かせてやりましょう」
 戦闘が終わってから身体検査が行われた。身分を示すものは一切なかったが、着ている服はいずれも上等な絹で、馬も庶民が買えるような駄馬ではなかった。質問には一切答えなかったが、どこかの騎士であることは明白だった。
「いけません、ヤス」
 ヒルダはかぶりをふった。
「そのようなこと、騎士道にもとる行いです。絶対になりません」
「せやかて、オレは騎士じゃないし……」
「黙ってろ、ヤス」
 オニールは口をふさいだ。
「ヒルダ、君の意志はよくわかった」
 マルコムは君主の命令を受けるように、胸元に手を当てて言った。
「だがこの者たちをただで返すわけにはいかない。仲間を連れてまた襲ってくるのは明らかだからだ。だったらこうしよう。武装と馬はこちらで預かる。そして徒歩で帰ってもらう。神のご意思があれば生きて帰れるだろう」
 ヤスが納得したように、うんうんと首を何度もふっている。
「しかし、それでは途中、魔物に襲われても抵抗できません」
「いや、姫。マルコム卿のおっしゃる通りです。なにも武器と馬をこいつらに返してやることはない。もし途中で死ぬなら、そいつの運命というものでしょう」
 オニールは諭すように語った。だがヒルダは首を縦にはふらなかった。
「みんな、よく聞いてください。いま兄のリチャード王太子が国の内外から信頼を失いつつあります。それは慈悲の心をどこかへ置き忘れてしまったからです。私たちはこんな時こそ主のご意思にしたがって、寛容の心を示すべきなのです」
 オニールは言葉を失った。「主のご意思」と言われれば、強く反対できない。
「わかったわかった、ヒルダよ。君は言い出したら、誰が何を言っても押し通す人だったな」
 マルコムは微苦笑した。ヒルダもニッコリほほ笑んだ。
「ええ、そうです。私は頑固者なのです。きっと陛下の血を受けたからですわ」

 2 3 感想 
一覧へ


愛甲ミカミニゲーム公開中