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絞魔が降る
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 1

「姉ちゃん!! なんだあれ?」
 かろうじて遺跡である事が分かるような瓦礫がれきが散乱する砂地の中、フードを深く被った小さな影は後ろを歩く影に向かって声を上げた。
 声を掛けられた方はフードからまだ少女と言える顔を出し、弟が指す方向を見た。
「何かしら。人?」
 砂塵さじんに覆われている物は確かに人のようにも見える。
 旅人が行き倒れたのかもしれないが、かなり砂に埋まっている所をみると何十日もそのままだったようだ。
 ここは街道から外れている。弟が隣村までの使いの帰りに宝探しをしたいと言い出さなければ、これからも見つかる事はなかったかもしれない。
 その時、絹を裂くような甲高い泣き声が聞こえた。
 姉弟が驚いて周囲を見渡すと、石の塔に大きな鳥がとまっている。
 クアダルーと呼ばれている獰猛どうもうな肉食鳥だ。色鮮やかな羽を持ち、上空から獲物を探してすごい速さで襲い掛かる。素早く、鋭い爪とくちばしを持つが知能も高く警戒心が強い。主に家畜などの弱い動物を襲う害鳥だが人は襲わない。そう、大人の人間は。
 少女は周囲を見回す。切り出された石が散乱しているが、隠れられるような大きさの物はない。
 少女は弟を担ぎ上げるとそのまま肩車をした。弟も黙って背筋を伸ばし、両手を広げて自分を大きく見せる。
 クアダルーはしばし丸い、が鋭い眼で姉弟を凝視していたが、やがて大きな羽を広げると飛び去って行った。
 ふう、と息を付いて少女は弟を降ろす。
 大人達に教えられていた危険な動物から身を守る方法が役に立ったようだ。
 人の匂いがする街道は安全だが、奥地にはまだクァールやオークなどの恐ろしいモンスターも生き残っていると聞く。
 姉弟は足場の悪い地面をよたよたと歩きながら、ほとんど砂に埋まった塊に近づく。
 死体だろうか。それなら埋葬してやるのが礼儀だが、知らない土地では用心するように大人達に言われている。注意深く様子を窺っていると弟は考え無しに走り寄る。
「あ、こら」
「へーきだって姉ちゃん。こんなに砂に埋まってて生きてるわけないだろ。とっくにミイラになってるよ。あの鳥だって喰わなかったじゃん」
 それもそうか、と思ったよりさかしい弟の言葉に感心しながら少女も近づいてみる。
 所々砂から飛び出している黒い物は鳥の羽のようだが、これは服だろう。黒い鳥の羽で作られた衣服のようだ。そこから出ている物は腕。
 長い間、砂に晒されたらしき人間の手だ。形からして男性。
 しかし、ミイラ化というほど干乾びていない。細かくなりすぎた砂の粒がびっしりとついて真っ白。まるで石で精巧に作った彫像のようだった。
「ああー、いいもん見っけ! こりゃきっと値打ちもんだぞ」
 弟が側に落ちていたらしい何かを拾い上げて喜んでいる。
 死体から物を盗るなんて……、といさめるように弟を睨みつける。彼は姉の言う事を察したようで、
「大丈夫だよ。らねぇって、こいつの身内が探しに来るかもしれねぇだろ。形見がないと誰だか分からないじゃん。だからそれまでオイラが大事に取っとくんだよ」
 少女はやれやれ、とため息をつく。
 弟は大事そうに形見の表面をごしごしと擦っている。それは大人の拳くらいの大きさの菱形ひしがたをしていた。横から見ると菱形、上から見ると四角形という珍しい形をしている。
 調度品だろうか。たまに遺跡から出て来る事があり、旅人の持つ品と交換できると大事にする者もいるが、現実には何の役にも立たないただのモノだ。少女には全くその価値は分からない。
「すっげー金ピカじゃん!!」
 弟が感嘆の声を上げ、袖の布に唾をつけて更に擦り始める。
「わ! ここにはまってるの、宝石じゃね?」
 宝石? と少女の顔色が僅かに変わる。
 少女も宝石の美しさに心を奪われる気持ちは理解できる。
 あの煌びやかさは他の何にも変えられない。澄んだ水のようで、眩い太陽のようで、それでいて朽ちる事のない、永遠の美しさを保つ。それはまさに神の奇跡。
「他にも持ってるかもしんねー。探そうぜ」
 弟が死体を覆う砂を掘り始める。
「あ……、あ」
 死体あさりなど……、と弟をいさめようとするも言葉が出てこない。
「もう一個見つけたら、それは姉ちゃんのだぜ」
 少女はごくりと唾を飲み込む。
「丁寧に、丁寧にね。敬意を払って……」
 おろおろしながらも一応いさめるような素振りをする……が突然、砂が大きく盛り上がり始めた。
「わっ!」
 と驚いて尻餅をつく姉弟の前で、その「死体」はゆっくりと体を起こす。
 ざあっ、と体を覆っていた砂が地面に流れ落ち、周囲に砂煙を起こさせた。
 砂から現れたのは男――というには小さく、少年のようだ。まるで冬眠していた動物が周りの煩さに耐えかねて起き上がったかのようだった。
 眠っていただけ? なはずはない。頭は完全に砂に埋まっていたのだ。この気候で砂の上に一日寝ていたらそれだけで死んでしまう。
 少女は震えながらも弟を庇うようにしがみつく。
 起き上がった少年はゆっくりと目を動かして、その視線を弟の手の中にある物に合わせた。
 弟は視線に気が付くと我に返り、「ってません」と言わんばかりに首を振って持っている物を差し出す。
「……欲しいなら、そのまま持っていろ」
 少年は宝石のはまった菱形には目もくれず小さく呟くと、そのまま立ち去ろうとする。
 姉弟はその様子を呆然と眺めていたが、突然弟の手の中にある物が光と音を発した。
監視端末オブザーバーから離れたら、不可説不可説転ふかせつふかせつてん加罪かざいだよ』
 わっ、と弟は驚いて持っていた物を取り落とす。
「オレが放したんじゃない」
 少年はポツリと呟く。菱形が発した声に返事をしたようだ。
『キミの意思は関係ない。そしてオブザーバーがキミを見失ったら神の罰が下る』
 少年は足を止め、ボリボリと砂にまみれた頭を掻く。
 やがて顔だけで振り返り、仕方ないという風にゆっくりと姉弟の前に戻ってくる。
 弟は、はっと足元の菱形を見ると、慌てて手に取る。
「さっきくれたじゃないか。これはもうオイラんだ!!」
 少女はおろおろしながらも弟の腕を掴む。少年は歩み寄ると、へたり込む二人を下目使いに見下ろす。
 目付きが鋭い、というか悪い。黒い鳥の羽を束ねたような衣服はいかにもガラが悪そうで、逆立った髪はまるで鶏冠とさかのようだ。
 そんな事よりもあの状況で生きているなど普通じゃない。かかわらない方が……、と少女は弟を揺さぶって訴えかけるが、弟は威嚇するように歯をむき出している。
「やってもいいが、オレはソレから離れてはいけないそうだ」
 少年は菱形を指差して無感情に言う。
「そうなの? じゃあ、一緒に来ればいいじゃん」
 弟は急に態度を和らげるが、少女はその腕を強く掴んだ。
「いいじゃん。くれるって言うんだもん。通行料払うってんなら構わないだろ」
 入村にゅうそん料の事だろう。得体の知れない者が村に入れてもらえるはずはない。考え無しな弟に真っ青になるも、少年の雰囲気に気圧されている少女は何も言えずついて行くしかなかった。


 2

 黒い少年が倒れていた遺跡から、姉弟の住む村に着く頃にはすっかり日が傾いていた。
 村は小さな山の麓にあり、緩やかな斜面にそって広がった村は入り口から一望できた。
 土を塗り固めた家が数十件。堅牢な石作りの建物、風車や牧場も見える。人口で言うなら百人くらい。
 中ほどで立ち上るのは煙ではない。山の地熱で暖められた泉から上がっているのだ。川が流れて実の成る木々が生い茂る、豊かな村のようだった。
 村の中と外を分けているのは申し訳程度の柵だけで、平和な村である事が伺える。
「にーちゃん、あれだよ。あれがオイラ達の『せせらぎの村』」
 弟が磨いていた菱形から顔を上げて指差す。
 少女はその後ろを縮こまってついていた。
「おい! アローラ。なんだよそいつは」
 日に焼けた屈強な男がやってくるなり声を上げた。門らしい門はないが、門番のようだ。
「おい、正気か? よそ者を連れて来るなんて。それとも隣村の使いか?」
 明らかに商人には見えない客に声を潜める門番に、少女は泣きそうになりながらも首を横に振る。
「なあ、いいだろ? ちゃんと通行料貰ったんだから。ほら」
 弟は磨かれて更に光沢をおびた菱形を見せ、門番が目を見開く。
 ただの金塊ではない。複雑な模様がびっしりと彫られ、精巧な造型物である事が見て取れる。
 赤青の宝石もいくつかはまっていて、素人目にも美しい。
「お、おう。まずは長老に聞いてみよう。話はそれからだ」
 門番は上ずった声を上げると少年を案内した。

 *

「おお……、これは」
 村の長老は、菱形の模様を手でなぞりながら感嘆の声を上げる。
 長老の住まいに集まった村人達は、一番の長生きで聡明博識な老人に注目する。
 長老は懐かしいものを思い出すように宙を見つめる。もっとも長老の目はほとんど視力を残していないので、いつもそんな感じで話す。
 しかし、この老人は誰よりも真実を見透かす目を持っていると村人達は思っている。
「あなたは……、絞魔こうまなのですね」
 コーマ? と村人達が顔を見合わせる中、傍らに立つ少年は片眉を上げた。
「このお方は神の使い。神獣の化身じゃ」
 おお、と村人からも感嘆の声が上がる。
「その昔……いや、今よりもっと先の事かもしれぬ。神と魔の戦いがあった。その戦いは長きに渡り、その間に多くの世界が失われた。戦いは神の勝利に終わったが魔族とは和解し、魔も神も壊れた世界を元に戻すために注力しておられる。現世に降り立って人々の為に尽くす者を『絞魔』と呼ぶのじゃ」
 皆長老の昔話に嘆息して聞き入る。
「神と等しい力を持ち、この世に数々の奇跡を起こす。これはまさしく絞魔の証」
 長老は菱形を掲げ、皆は歓声を上げる。
「な! だから言ったろ。こいつ喋ったんだよ。ただの宝物じゃねぇ」
「最近他の村が襲われてるって話だから心配してたんだ。でも、もうこれで大丈夫だ」
「丁重にな。だがもてなしてはならんぞ」
 祭りだごちそうだと騒ぎ始めていた村人達は長老の声に言葉を止める。
「神は時に厳しい面も見せなさる。ワシは絞魔をもてなして、神に卑しき者と見なされ罰を受けた者も見た」
 村人達は少し動揺したが、それでも縁起のいい事には違いない。俺達だけで祝うのは構わないだろう、と村人達は活気を漲らせてそれぞれの家に帰って行った。
 石造りの部屋には長老と絞魔の少年だけが残された。
「まったく、余計な事を言ってくれたな」
 腕組みして壁にもたれかかったままぼやくコーマに、老人はふぉっふぉっと笑っている。
「ワシは長老じゃからな。村人を統べるのが仕事じゃ。最近不穏な事が多くての。村人達の不安が高まっておった」
 いいように利用されたようだ。魔と呼んでおきながら、神獣の化身だなどと……。
「あんたが前に会った絞魔ってのはどんな奴なんだ?」
「知らん。忘れたわい」
 ふぉっふぉっと長老は煙管きせるくゆらせた。

 *

「あ、コーマ様。これをどうぞ。あ、いや施しとかではなく、普通に。あ、ダメですか、これは失礼しました」
「コーマ様。こちらにいらっしゃいませんか。あ、そうですか。すみません」
「やー、にーちゃんってスゲーんだな。誰も抜けなかった剣を抜いたり、世界を丸ごと飲み込んだり、海を割ったり、地獄の門を守ったりするんだって?」
 コーマはうんざりを通り越した無表情で聞き流す。
「こらマキト。コーマ様に失礼だぞ」
 痩身の男が酒の入った杯を持ってやってきた。
「なんだよクトン。にーちゃんはオイラが連れてきたんだぞ」
「僕の事は兄さんと呼べと言ってるだろ」
「なんでだよ。姉ちゃんは別にお前の事好きじゃねぇぞ」
 クトンと呼ばれた男は「こいつめ」とマキトの頭を軽く小突く。
「にーちゃん、変身できねぇの? それ、仮の姿なんだろ?」
「できるが……、それがないとな」
 コーマはマキトの持つ菱形を指差す。
「そうなの? じゃあ、返すよ。……惜しいけど、仕方ないもんな」
 コーマは菱形を受け取り、それに向かって呟くように言う。
「この子が真の姿を見たいそうだ」
 菱形は光らず、音を発する事もない。
 ダメみたいだ、と無表情に告げるとマキトが頬を膨らませる。
「然るべき理由がないとコイツは許可してくれない」
「えー、オイラのお願いだよ。神の使いだろ。子供の願いは叶えてあげなきゃ」
 自分で言うな、とクトンがマキトの頭を叩く。
「だそうだが? 力の解放を申請する」
 コーマは菱形に向かって冷ややかに言う。
『申請は棄却。然るべき理由が見当たらない』
「ちぇっ、融通利かねぇの」
「同感だ」
 膨れっ面になるマキトに、魔物の化身は無表情に答えた。


 3

 朝の日差しが降り注ぐ広場は女達の声で賑わう。
 この村の女達は朝になると泉で洗濯等の水仕事をするのが日課だ。そして地熱で暖められた泉で湯浴みをして身を清める。
 先の文明が崩壊し、荒廃した台地が世界の大半を占めるこの世界には似つかわしくない楽園と言えた。
 山に面し、裏手には森が広がっている為砂塵も吹き込まない。
 奥にはかつて神殿であったであろう石造りの建造物があるが、ほとんど崩れ落ちて元の形も分からない。
 かつて神に護られていた土地。信心深い村だから、見るからに怪しいコーマも受け入れられたのだろう。だが昨日の少女、アローラだけは未だ怯えたように近づいて来ない。
 薄手の布を身に纏っただけの姿で湯浴みしていた女達は、コーマの姿を認めて少し戸惑ったような素振りを見せたが、皆一礼して湯浴みに戻る。
 だがよそ者が珍しいのか、絞魔が珍しいのか、皆チラチラと視線を黒い少年に送っていた。
 魔の化身であるコーマに人間の女性に対する興味があるはずもなく、一瞥しただけでその場を通り過ぎる。
『絞魔は人間に威厳を示してはいけないんだよ』
「オレは何もしていない」
 何度やったか知れないやり取りに菱形は『キミの意志は関係ない――』といつもと同じプログラムされたままの返答を返す。
 “お荷物”も返してもらった事だしさっさと村を出るか、とボヤくコーマに菱形は台詞を読み上げるように言う。
『黙って出ていくと礼を失するよ。一晩世話になったんだ。せめてその恩には報いないと加罪されてしまうね』
 今までにその言葉に従ってうまく行った試しはない。
 出ていくと言えば必ず引き止められ、断れば自分達を見捨てるのかと泣きつかれるのが関の山だ。
 経験上、日中に堂々と、すぐ戻ってくるような素振りで外へ出て、そのまま姿を眩ますのが最も罪を重くしない方法だった。
 そんな事を思いながら村の入り口に向かって歩を進めていたが、そこには何やら人だかりが出来ていた。
 何やら騒いでいる、というよりは揉めているようだ。三人のガラの悪そうな男達と村人が押し問答をしている。
 これはまずい……、とコーマは気配を殺して踵を返したが、
「あっ。コーマ様! ちょうどいい所へ」
 背後からを声を掛けられた。
 コーマは村人に見えないように顔をしかめる。
 面倒に巻き込まれるくらいなら走って逃げるか……、と逡巡するコーマに更に声がかかる。
「アローラが、アローラが変な連中に捕まってるんだ」
 アローラ? と村人の指す方に目をやると、最初に会った少女、アローラがガラの悪い男に腕を掴まれている。
 そうしているうちに村人に囲まれて促され、観念したように連れられるまま入り口まで歩いた。
「だーかーらーよ。俺達も仲間に入れてくれよ」
「それはダメだ。長老の許しがなくては村に入れるわけにはいかない」
 門番が、三人の男の前に立ちはだかっている。男達はレザーで全身をプロテクトしたような出で立ちだが、防護というより自身を派手に見せる為の服装のようだ。粉塵から守る為か、顔も半分覆っているので三人共区別がつかない。もっとも出で立ちだけで言うのならコーマも大差はないが……。
 その内の一人がアローラの腕を掴んでいた。
「じゃあ、許しを貰ってくれよ。それとも何か? ここじゃ困っている人間を放っておこうってのか? このまま野たれ死ねっての?」
「気の毒だがここも余裕があるわけじゃない」
「どこがだよ。ここはこの辺で一番豊かな土地だろ? 余裕ありまくりじゃねぇか。三人くらい増えたってどうって事ないだろう」
 男達が呆れたように辺りを見回す。
 男達の言う通り、このせせらぎの村は水源があり、獲物の獲れる山や森も近く農地もある。数十人くらい増えた所で問題はなさそうに見える。近隣に危険な動物もいない。場合によっては更に村を広げる事もできそうだ。
 長い時間世界を見てきたコーマにも安定した村と言えた。困っている者がいるのなら施してやるのが人情というものだろうが、確かに目の前にいる連中は困っているようにも見えない。
「分かってるんだぞ。数人村に入れたら、後から後から人が押し寄せてきて荒らされた村があるんだ」
 クトンが大声を上げると、三人は不適な笑みを浮かべる。
「じゃ、オレこいつと結婚する。それなら文句ねぇだろ」
 アローラの腕を掴んでいた男がその手を引き寄せ、アローラが悲鳴を上げた。
「ねーちゃん!」
「お、お前! ふざけるな!」
 マキトを制したクトンが男に飛び掛るが、別の男に足をかけて転ばされた。
「おいおい。オレ達ゃ平和的な話し合いを望んでんだぜ」
 一人が背負っていた物を手に持って構えると、そこから火炎がほとばしった。
 いきなり頭上で火の手が上がったクトンは、悲鳴を上げる事もできず頭を庇うようにして地面に伏せる。
 三人を追い出そうと入り口に集まってきた村の男達も一歩後ずさった。
「ふ、ふん。それがどうした。こっちには神の使いがついてるんだ」
 村人達は踏み止まって強気な態度に出る。恐慌して逃げ惑うものと思っていた三人は怪訝な表情になる。
「さ、コーマ様。こいつらに神の鉄槌を!」
「にーちゃん! やっつけてくれよ!」
 押し出されてきた黒い少年を、三人は距離が近いにもかかわらず凝視する。そして三人で顔を見合わせて苦笑した。
「お前が、何を見せてくれるんだって?」
 真ん中の男がコーマを小馬鹿にするように詰め寄るが、三人の目から見ても少年が無理矢理突き出された事は明らかだ。
「ふん」
 男がコーマの腹に蹴りを入れる。更に前のめりになったコーマの後頭部に組んだ両手を叩き降ろした。
「ガキだからって容赦しねぇぞ」
 三人で寄ってたかって蹴り始めたが、その間コーマはされるがままだった。
「変な格好をしやがって。それで神の使いか何かをかたって村に取り入ろうって魂胆だな。オレらのシマになる場所で勝手な事すんじゃねぇ」
 気が済んだのか男達は、息を切らしながらコーマから離れる。
 普通ならば肋骨が何本も折れるほどの暴行だ。血は出ていないが苦悶の表情を浮かべている所を見ると苦痛はあるのだろう。
「ま、スッキリしたし今日の所は大人しく引き上げてやるぜ。ここはいい所だ。俺達の親分、ドラード様の拠点にピッタリだ。それまでに空けておくか皆殺しにあうか好きな方を選びな」
 真ん中の男は武器を構え、勝利の雄叫びのように空中に火の手を上げた。暗くなり始めた中、村人達の引きつった顔が照らされる。
 男達が笑いながら去って行く中、最後までコーマが「いい加減にしろ」と立ち上がるのを期待していた村人達は、ただ呆然と立ちすくんでいた。


 4

 マキトは篝火かがりびとして炊いてある焚き火をじっと見つめていた。そこへやってきたのはこの村で一番長生きの老人。
 長老はぼんやりと篝火を見つめるマキトに声を掛ける。
「幻滅したのか?」
「ゲンメツ? それはよく分かんねーけど……、ガッカリだよ」
 マキトは落ちていた小枝を拾って焚き火に投げ入れる。
「ガッカリというのは期待を裏切られた事によるものじゃ。この場合はワシらが勝手に期待しただけじゃからな」
「でもよー。コーマが……、神の使いがあんなに弱いなんて、ガッカリするじゃんか」
「ふぉっふぉっ。あれだけやられて手を出さないなんて。これは凄く強い事なのではないかな?」
「強いんなら、やっつけちゃえばいいじゃないか。そうすればやられなくてすむんだし。あいつらだって、調子に乗ってくるぞ。神の使いが、聞いて呆れらぁ」
「人は神の子。絞魔は神の使いだ。神にとって人は等しく同じ存在だ」
 マキトは立ち上がる。
「別の村の奴らじゃんか。あいつらは敵だ。同じじゃねぇ」
「仮に、あやつらがコーマを先に見つけて仲良くなっていたら、やっつけられるのはワシらの方じゃな。お前はそれで納得できるのか?」
「それは……、でもあいつら悪い奴らじゃないか。神の使いが、悪い奴に手を貸していいのかよ」
「悪い奴らというのはワシらにとってじゃ。お前もアローラと喧嘩した事はあるじゃろう。お前は自分が悪いと思っておるか?」
「い、いや。そんな事はねぇ……けどよ」
 握り締めていた拳を降ろし、力なく言う。
「ならアローラは悪い奴か? アローラもコーマにやっつけてもらうか?」
「い、いや。だって姉ちゃんじゃないか」
「そうじゃ。人は皆神の子。神にとって人は皆兄弟なんじゃ」
 納得いかない顔で膨れるマキトに長老はふぉっふぉっと笑う。
「争いは、争いしか呼ばぬ。お前にもいつか分かる時が来るじゃろうて」

 *

 自らの体を引きずるようにして、何とか泉の近くまで移動したコーマは泉を囲う石を背にもたれかかった。
 途中村人にも会ったが、特に何も言われなかった。だが時折家の中から何かに悪態をついている声が聞こえる。何を言っているのかは想像に難しくない。
 だが村人からは何も貰っていない。恩義に報いる必要もない。村人達もそれが分かっているから表立って非難する事はないのだろう。これはあの長老に感謝すべき事なのかもしれない。
 などと思いながら、コーマは村の所々にある篝火かがりびの一つをぼんやりと眺めていた。
 こんなのはいつもの事だ。期待され続けるよりは遥かに楽でいい。だが動けるようになるまでもう少しかかるだろう。
 壊れる事はないが人並に苦痛があり、収まるまでにそれなりに時間がかかる。動けるようになったら村を出るつもりだった。
『今日は随分と人に触れたからね。結構な加罪になったよ』
「オレは何もしていない」
『キミの意思は関係ない。キミが酷い事をしたのは主に人間だから。本来人間からの報復を耐えていれば多少は罪が軽くなるんだけど、微細すぎて数値にできないね。今日の痛みくらいなら百六十億年ほど続ければ数値にできるくらいに――』
 コーマは黙って目を閉じる。普段はほとんど声を発しない、感情も意思も持たない監視役だと聞いているが、この菱形はコーマが酷い目に遭うと饒舌になる傾向がある。
 本当は意思も感情もあって、自分が酷い目に遭っているのが楽しいのではないか、とコーマは思い始めている。それとも高度な人工知能のように旅を続けているうちに感情を学習したのだろうか。
 だが神の作った人工知能ならば生物と何ら変わらない。オブザーバーは神界との接続を代行する者だが、不要なものを取り払っただけの立派な生物の一種なのだ。
 人の歩いてくる気配に、コーマはもたれかかりながらも姿勢を直す。
 人間に対して礼節を守る義務はないのだが、コーマも元は魔物。無様な姿を見られるのはあまり気分のいいものではない。
 通り過ぎるのかと思ったらコーマの方へ近づいてくる。何の用だ? また面倒な事かと顔を背けるコーマの前でその人影はしゃがみ込んだ。
 顔を上げるとそこにいたのは最初に会った少女アローラ。
 アローラは唖然とするコーマの顔に向かって濡らした布を近づける。
 反射的に払いのけようとしたコーマの手は、アローラの手に当たった所で止まる。アローラは少し微笑み、そのまま布でコーマの顔を拭き始める。コーマは大人しく手を下ろした。
「包帯も持ってきたんだけど……、傷がないわ。神の使いっていうのは本当みたいね」
 手当ての必要がないと分かったのか、アローラはコーマと並んで腰を下ろす。
「弟を許してやってね」
 ガラの悪い連中が帰る時、マキトは何やら叫んでいたがコーマは耳鳴りがしていて聞き取れなかった。だが何を言っていたのかは想像できる。
 許すも何も、と言う所だがコーマは黙っていた。こんなのはいつもの事だしその事を逐一話す気もない。
「私、暴力を振るう人は嫌いです」

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