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妖精を月の、時間に英雄が醜い内なる時間に呼び覚ます
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 ※ この作品には、暴力的なシーンが含まれています。


 夜空に浮かぶ、紫と青のまだら月。
 吐き気がするほど、気味が悪ぃ。

「――――ぶち抜け、ゲイボルグ!」

 俺が投擲した白銀の槍は、命令通りに目標を刺し貫いていた。
 串を通した魚のようにされた黒い妖犬は、そのままアスファルトへと倒れこむ。
 犬はすぐさま、生まれたての子馬のように立ち上がろうとしたものの叶わず。そのまま路上に伏せ、荒い息を上げる。ひと気のない夜の耕作地に、その息遣いはやけに大きく響く。
「はっ! ざまぁねぇな、クソ犬」
 俺はこみ上げてくる歓喜を噛み締めつつ犬へと歩み寄ると、おもむろに槍に手をかけ、一気に引き抜いた。
 犬の体は、びくんと跳ねたものの、反撃の様子はない。どころかまるで、待てを命じられた忠犬のように、大人しく地面に突っ伏したままだった。
「ははっ! なんだよ、案外おりこうさんなやつだな。……よーし、じゃあそんなてめぇにごほうびだ」
 言って、蹴った。
 蹴る、蹴る、踏みつける。踏みにじる。
 つま先で、かかとで、足全体で、すねで。
 軽快に、鈍重に、小刻みに、全体重で。
「はっ、ははっ! ほら、どうだ、嬉しいか? 嬉しいだろ? おら、どうだ! 尻尾振って喜んでみろよワン公! はははっ!」
 悲鳴をあげても、血が流れ出してきても、嫌な音がしても、痙攣しだしても俺は止めてやらない。ごほうびだからな。
 あー、なんて最高の気分だ! 
 苦悶の喘ぎ! 
 絶望の仕草! 
 飛び散る血飛沫! 
 かすかに肉片の混じる飛沫ひまつ! 
 心地良い! 
 その全部が気持ち良い! 
「っと…………あー、こりゃもう死んだか? なぁ、どうだリオ?」
 俺が声をかけると、犬の周りを手の平ぐらいの小さな光の球が飛び回って戻ってきた。
 その光の中には、背中から蝶のはねが生えた、小さな女が見える。
 フリルをあしらった黄色い洋服に、手首と足首にも黄色のシュシュ。頭には、タンポポの花飾りがついていた。髪は金髪というより黄色に近く、瞳は深い緑色。
 リオは、せわしなく背中の翅を動かし、宙に浮いている。飛んでいるのだ。
「大丈夫、ちゃんと死んでるよこいつ! やったね、クー!」
「……ったく、人の姉貴に手ぇ出そうとするからだ、この馬鹿犬」
「あはは! ばーかばーか!」
 もう動かない肉塊を、リオは素足で楽しそうに蹴りつけていた。
 ああ、なんてひでーやつ! 




「…………もう、朝か」
 スズメの鳴き声で、目が覚めた。
 携帯で時間を確認すれば、時刻はまだ六時前。春とはいえ少し冷え込んだ空気は、温かい布団から出るのが辛くなる。
「んー? おあよ……クー……」
 僕の上で、リオが眠そうに目をこすっていた。それを見て、僕は何気なく、妖精も睡眠不足になるのかな? とか考える。
「むにゃ……クー、もう起きるの? 昨日、あんなことがあったのに」
「あんなことがあったせいで、目が冴えてるの」
 そんな話をしながら、僕はベッドから抜け出た。
 リオは「うーん、眠いよー」とか言いつつ、ぱたぱた飛んで僕の肩に。
 部屋を出て階段を下りると、台所の方からは包丁が刻む小気味のいい音が響いていた。
 一旦、顔を洗いに洗面所へ。それが終わってから台所に入った。
「あら、おはよう太一。今朝は早いのね」
 包丁を片手に、そんなことを言いながら振り返ったのは瀬端明日香、僕の姉さんだ。
「おはよう、姉さん。なんか目が覚めちゃってさ。今朝のごはん、なに?」
「もうすぐ出来るから座って待ってて」
 言われるまま席につくと、ほどなく食卓に料理が並べられる。一通りそろってから、姉さんも席について準備完了。いただきますをして、朝食がはじまる。
 僕の家に、両親はいない。
 二年前に事故で他界してからは、ずっと姉さんとの二人暮らし。四人がけの食卓に二人きりは少しさびしいけど、もう慣れてしまった。
 もっとも、最近はそこにリオという居候が加わったんだけど。
「はい、今朝はタンポポと豚コマの炒め物、ツクシの佃煮。ギシギシのお味噌汁。それと、ヨモギをおひたしにしてみまーしたっ」
 どーよ! とばかりに、野草のメニューを読み上げる姉さん。
 我が家では、こんな献立は日常茶飯事だ。
 今の時期はフキノトウ、ツクシ、タンポポ、スイバ、ギシギシ、オオバコ、ヨメナ、ヨモギ、カラスノエンドウに、ハルジオン。片田舎ということで、食べられる野草には事欠かない。
 では早速とばかりに、僕はタンポポ豚コマ炒めに手を伸ばす。
 うん、おいしい。
 塩コショーと共に、タンポポの風味が口の中に広がる。少し苦く、それでいてかすかに感じる旨味。その辺に売ってる小松菜やほうれん草より味わい深い。それが豚コマの旨味と相まって、なんとも言えない味をかもし出している。
「どうかな、太一。おいしい?」
 黄色いフリルのエプロン姿で、新妻よろしく聞いてくる姉さん。なんだか気恥ずかしくなって、僕はちょっと顔を逸らす。
「ふ、普通だよ。ふつー」
「普通? 普通になに? ちゃんと答えなさい、太一」
「普通に、おいしいです……」
「うむ、よろしい」
 ご満悦な様子で、姉さんがうなずいた。
「最近ね。仕事場の近くに穴場を見つけたの。空き地にタンポポとかがたくさん生えててさー。まだまだとってきた分が冷蔵庫にあるから、今夜はタンポポのフルコースにするわね」
「いや、昨日もそうだったよね。それ……」
 昨夜のタンポポ尽くしを思い出すと、僕は突っ込まざるを得ない。
「あと、庭で家庭菜園してるでしょ。あれも使おうよ。なんのために育てたのさ?」
 訊くと、姉さんはついと目を逸らして。
「……なんかあいつらのこと、最近いとおしく見えてきちゃって」
「そんなしみじみと……」
「あはは! ばかだー! 本末転倒だー!」
 肩の上で、リオがお腹を抱えて笑った。
 早くに両親を失くしたということで、僕らの生活はそれほど楽じゃない。
 姉さんが近所のスーパーに働きに出ているものの、給料のほどはたかだかしれたもの。月々の生活費、光熱費、水道代、食費、そして僕の学費。
 生活保護をうけてなんとかやりくりしているものの、それでも辛い状況だったりする。
 そんな事情があるから、姉さんは野草料理は、少しでも食費を浮かそうという涙ぐましい努力だったりする。
「そうそう、太一今年受験でしょ? どう、ちゃんと勉強出来てる?」
「ばっちりだよ。心配ないって」
 僕は炒め物で少し脂ぎった口の中を潤すように、ギシギシのお味噌汁に口をつけた。
「そう、だったらいいけど。あんたはあたしと違って出来がいいんだから、しっかり勉強しときなさい。受験失敗して後悔しないようにね。あたし、あんたには期待してるんだから。良い学校入って、良い仕事についてよね。それでたくさんお金かせいで、あたしに楽させてよね」
「……すごいプレッシャーかかるんだけど」
「かけてんのよ」
 ふふっ、と笑う姉さんだけど、笑えないからね、それ。
「ねぇ、やっぱさ。僕、大学は諦めて高校卒業したら就職したほうが良いんじゃない? 学費だってかかるんだし」
「いいの、太一は大学に行って生物工学だっけ? を勉強したい、って言ってたじゃない」
「そりゃまあ、そうなんだけどさ……」
 それは父さんたちが生きていたらの話だよ。
 なんて言葉を、ごはんと一緒に飲み込む。
「太一、今はその気持ちだけで十分よ。気にしないで、太一は好きな道に進みなさいな」
 そう言って、姉さんはふっと柔らかな笑みを浮かべた。
 けれど、その笑顔を見ていると、いつも言いようのない気持ちが沸きあがってくる。罪悪感とか、無力感とか、そんな感じのマイナスな気持ちが。
 化粧っけのない顔に、荒れた指先、着古した服を目にする度、僕の胸の中は、いつもすまない気持ちでいっぱいになるっていうのに。
 本当は、姉さんはもっと綺麗なのだ。
 男の僕よりも、すらっと背が高くて、長めの黒髪が似合ってて。よく友達にうらやましがられた。そんな自慢の姉さんなのだ。
 だからこそ余計に、姉さんの今の状況は、僕にとって耐え難いことで。
「ふぁーあ…………っと、ごめんなさい」
「疲れてるの、姉さん?」
 大あくびに心配して聞いてみると、姉さんは「ううん、そうじゃなくて」と手を振って否定。
「どうも最近夢見が悪くてさー。変な夢ばっかり見るのよね。太一のほうはどう?」
「え? いや、僕の方は……」
 見てないけど、と答えると姉さんは何かを思い出したような、表情をした。
「そう言えばさー、最近太一、夜に誰かと話してない? 時々、出歩いたりもしてるみたいだけど。もしかして……彼女でも、出来た?」
「い、いないよ! そんなの!」
「ふぅ~ん?」
 僕の返事をどう受け取ったのか、姉さんはにまにまと表情を緩める。
「……追求されると面倒だ、さっさと出よう」
「らじゃ!」
 小声でリオとそんなやりとりをしてから、僕は席を立った。
「ごちそうさま、僕もう学校の準備しなきゃ!」
 そそくさと食器を片付けて、台所を後に。なるべく慌てた感じを出すために、駆け足で階段を登る。
「……まさか、妖精と一緒に戦ってる、なんて言えるわけないよね」
「だね~」
 自分のことなのに、他人事みたいに相槌を打つリオだった。



 ――――リオと出会ったのは、一週間ほど前のことになる。
 姉さんが観葉植物にとタンポポの鉢植えをくれて、夜にそのつぼみから現れた。それがリオとの、最初の出会いだった。
 ……なんとも嘘みたいな話だけど、実際にそうだったんだから仕方がない。
 もちろん、僕も最初は夢か何かだと疑った。
 けれど頬をつねれば痛いし、消えもしない。それならと早めに寝ても、翌日もそのままだわ。姉さんに見せても当然のように見えていないみたいで、すごく心配された。ものすごく心配された。
 じゃあ、と何かの薬か病気の類を疑ったものの、怪しげな薬なんか口にした覚えはないし、それらしいものに近づいた記憶もない。
 だから実際のところ、リオのことはストレスか何かで見ている幻覚、ぐらいにしか思っていなかった。
 つい、昨日までは。
 学校方面へ向かうバスを待ちながら、僕は肩の上で退屈そうにしているリオを見やる。
 と、その視線に気づいたリオが、首をかしげた。
「どうかした? クー? あ、昨日のブラックドッグにやられた傷でも痛む?」
「いや、大丈夫だよ。全然平気」
 言いながら、僕は左腕をさすってみせた。
 袖をめくれば、そこに昨日の跡が残っている。
 ブラックドッグに噛まれた傷跡だ。
 ただし、跡が残っている程度で、出血も痛みもない。むしろ、いつも以上に調子がいいぐらい。
 普通なら、絶対にこんなのじゃ済まないだろう。
 こんなのを見たら、妖精でもなんでも、信じるしかないよな……。いや、それよりも昨日のは…………。
 そんなことを考えているうちに、バスが来た。
 定期を見せて、バスに乗り込む。丁度通学通勤時間ということで、それなりに席は埋まっていたものの、運良く空いている席を見つけてそこに腰掛けた。
「……なぁ、リオ」
「んー?」
 他の人にはリオは見えないから、変な風に見られないように、僕は小声で話しかける。
「昨日みたいなやつ、また現れるのかなー」
「ブラックドッグのこと? うん、まだメイヴは諦めてないよ。きっと、次はもっと強い妖精を送り込んでくるね!」
 自信満々に言い切るリオに、僕はたまらずため息をついた。
「やっぱりそうなのか……。で、ええっと……ごめん、なんだっけ。昨日も聞いたけど、その……メイヴってなに?」
「メイヴはね、クインメイヴ。悪い妖精の女王なの」
「妖精の女王、か。そのメイヴがどうして姉さんを……?」
「さぁ? でもきっと、すっごく悪いことを企んでるんだよ! それは間違いないよ。リオが言うんだから絶対だよ」
 リオは腕組みしてそう言うものの、それはあまりに曖昧すぎた。
「えっと……あのさ。悪いことって、例えばなに?」
 訊いてみたものの、リオはそっと目を逸らしただけだった。待ってみても、答える気配なし。
「リオ、もしかしてわからない?」
「…………クーにはわかるっていうの」
「わかりません」
「やーい、やーい! クーのばーか!」
 一転、揶揄するリオに、僕は苦笑いを浮かべるしかない。
 どうにもリオは、妖精としてはまだ子供のようで、時々こういう言動をする。サイズこそ小さいものの、見た目は今年二十二の姉さんと同い年ぐらいに見えるというのに。
「……ま、とにかく姉さんを狙うやつが来たら倒すだけか。昨日みたいに、クー・フーリンの力で」
 言って、僕はぐっと拳を握り締める。
 クー・フーリンについては大昔にやったゲームに出てきたから、ほんの少しだけ知っている。
 それによるとクー・フーリンはケルト神話に登場する英雄で、普段は美男子なんだけど、いざ戦いが始まるとゲイボルグという槍を操り、狂戦士と化す…………とかなんとか。
 かなり昔のことだから、あんまり覚えてないんだけど。
「そう言えば、あの時の僕、なんか性格とか口調も変わってたよね」
「かっこ良かったよ! リオ、あっちのが好き!」
「そ、そうかな……」
 そう言われると、ちょっと悪い気はしないけど。いくらなんでも中二病っぽ過ぎるような気がしないでもない。
「けどまあ、姉さんを守れるなら、なんでも良いか……」
「あ。リオ、知ってる。クーみたいなの、シスコンって言うんだよね?」
「うるさいなぁ……」
 僕が軽く睨みつけると、リオは、きゃは! と声をあげて、飛んで逃げた。
 なんて素早いやつ。
「なんだろうと、僕はこの力で姉さんを守るんだ、絶対に」
 ぐっと拳を握り締めて呟くと、ひらりリオが舞い戻ってきて、その手にそっと腰掛けた。
 それから真っ直ぐ、らしくない真面目な面持ちで、僕の瞳を射抜くように見つめてきた。
「そっかー。それが、クーのゲッシュなんだね!」
「……ゲッシュ? ゲッシュって何さ」
 その問いかけに対する回答は、なかった。






「…………来た」
 夜、自室で過ごしていると、リオがぼそりとつぶやいた。
 携帯で時刻を確認すると、十時を少しすぎたところ。
 その直後に、世界が変化を始める。携帯に表示された数字が、見たことのない模様のようなものに。淡い月明かりは、青と紫のまだら色に。街灯は深緑、室内灯は赤に変化する。
 さらにどこかから、女の人が歌うようなあえぐような、そんな声が聞こえてきた。
「妖精の時間、か……」
 リオに教えられた名前をつぶやいて、僕は準備を始める。
 クローゼットを開けて、レインコートを取り出す。それを普段着の上に羽織って、洋服かけの奥にしまっておいたものを取り出す。
 長さは僕の身長ほど、重量はごく軽く、白銀に輝いている。
 クー・フーリンが使ったとされる槍、ゲイボルグ。それを手にして、僕は……いや、俺は部屋を出た。
 姉貴を起こさないよう、足音を忍ばせ、玄関から外へ。
 春になったとはいえ、それでもまだ冷たい空気が肌を撫でていく。
「あーあ、今日もまた、薄気味わりぃことになってんなぁ」
 そこかしこの民家から妙に甲高い笑い声が聞こえるなか、俺はやれやれと嘆息する。
「クー、こっち! こっちから、悪い妖精の気配を感じる!」
 薄闇の中、淡く光るリオについていく。
 ……昨日と同じ方向か。ってことは、この方角にメイヴの本拠地でもあるのかもな。
 なんとなくそんなことを考えながら、俺はひと気の少ない耕作地へと足を踏み入れる。
「そろそろ昨日の場所だな……」
「うん、そうだね」
 そんなことを話しながら、歩を進めていると、前方に人影を見つけた。
 昨日、クソ犬をぶち殺した場所だった。
「クー!」
「ああ!」
 リオの声と共に足を止め、槍を構える。
 まず目に付いたのは、昨日と同じ犬だった。
 黒い、大きな犬。薄闇に、紅く光る眼が浮かび上がる。さらに犬とは思えない、金属がねじれるような唸り声をあげていた。
 リオ曰く、ブラックドッグ。変幻自在の妖犬で、別名ヘルハウンド。
 昨日と同じ敵だった。
 まさか、殺したやつが生き返った、なんてことはないだろうけどな……。
 だが、そんなこともあるのかもしれない。そう思ってしまいそうになる。
 ただ、昨日と違って、その場所にはさらに二人、女が立っていた。
 一人は、背が高い、黒い女。
 長い黒髪に、黒い服を着込んでいる。顔は薄暗いせいでよく見えないというか、髪が顔を隠している。
 対照的に、もう一人の方は全身からほのかな光を放っていた。
 髪は黄金色に輝き、瞳は深い緑色。着ているものは、白を基調としたドレスで、夜だというのに日傘のようなものをさしていた。
 しかし、それよりも目を引いたのは、その背後だった。
 翅だ。
 リオと同じ、蝶のような大きな翅が、その背中から生えていた。
「あいつが、クインメイヴ……」
 直感的につぶやくと、リオが無言でうなずいた。
「てめぇが、姉貴をどうにかしようとしてるやつか!」
 距離をとったまま声をかけてみるも、返答はない。
「ちっ、だんまりかよ、気にいらねぇな……」
 槍を構えて歩み寄ると、黒い女がメイヴを庇うように前に出てきた。同時に、メイヴも犬と一緒に数歩下がる。
「んだよ、まずはお前からか? いいぜ、かかってこいよ」
 軽く挑発してやると、黒い女は軽くウォーミングアップをするように、拳を鳴らした。続けて、肩、首とほぐすように動かす。
 その次の瞬間、だった。
 黒い女が、恐ろしく耳障りな甲高い声を発したのは。
「ぐ……っ?! なん……っだ、これ!」
 激しい目眩めまいを感じ、思わず耳を塞ぐ。
「クー、気をつけて! あいつバンシーだ!」
 バンシー……死を告げ、嘆く妖精か! 
「だったら……せいぜい嘆いてろ! ……てめぇの死をなぁ!」
 叫び、ゲイボルグを構え、駆け出す。
 バンシーが、こちらに一歩踏み出した瞬間を狙い、槍を突き出す。
 が、バンシーは紙一重でそれをかわし、そのまま突撃してくる。
 …………く、速えっ! 
 即座に横薙ぎ、しかしこれもバンシーは体制を低くして回避。さらに距離を詰めてくる。
 もう槍では対応しきれない。そう判断し、即座に手を放す。すぐさま拳を構えるが、もう間に合わない。
 見る。
 バンシーの掌底が、あごの下から迫ってきていた。
「…………くっ!」
 とっさに後方へ跳――――。





「――――っ、ぅわっ!」
 気づけば、そこは僕の部屋だった。
 それもベッドの中で、いつもと代わり映えの無い風景がそこに広がっていた。
 カーテンのかかった窓の外はうっすらと明るくなってきていて、夜が明けたことを示していた。
 着ているものは、昨日の夜のまま。レインコート姿で、ベッドの脇にはゲイボルグが転がっていた。
「え…………? どうして僕、ここに……バンシーは? メイヴは?」
 心臓が、どくどく言っていた。
 あのあとどうなったのか、どうやって帰ってきたのか。あるいは全部夢だったのか。
 何も覚えていないのと、かすかに首が痛むことが、余計に不安をあおる。
「クー! 良かった、目を覚ました!」
 そんな声が耳元で聞こえて、目を向けるとそこにリオがいた。
「リオ、僕は…………バンシーにやられたの? あと、なんでここに…………」
 そう言いかけて、気づく。
「………………っ! そうだ、姉貴っ!」
 はっとしてベッドから、部屋から飛び出た。廊下を走り、姉貴の部屋へと向かう。
 メイヴは、姉貴を狙っている。
 だったら、僕がやられたってことは! 
「姉貴っ!」
 叫ぶと同時に、姉貴の部屋のドアを開けると、
「あー…………おぁよ、たいひ…………ふぁ……んー、まだ四時半よ?」
 普通に、パジャマ姿で、寝ぼけ眼の姉貴が、ベッドに横になっていた。
「え? あれ? …………いや、えっと、姉貴が……姉貴がさ…………あれ?」
 なんだか拍子抜けしてしまって、僕は戸惑いを隠せない。しどろもどろになっていると、姉貴はまだ眠いのか、目をこすりながらあくびを一つ。
「どうしたの太一、そんな顔して。……あ、わかったー。太一も怖い夢でも見たんでしょー」
 くすっと笑われて、僕は急に恥ずかしくなってきた。
「なっ、なんでもねぇよっ!」
 そう言って誤魔化すも、姉貴はくすくすと笑っている。
 なんだ、これ。すげぇやりづらい。
「もう笑うなよ、姉貴……」
「それよりなーに、その姉貴って。そう呼ばれるのって、なんか変な感じー」
「えっ? …………あ」
 指摘されて、初めて気づいた。
 くそっ、クー・フーリンの時の口調にひっぱられてるな、僕。
「ごめん、ちょっと慌てて……それじゃ、起こしてごめんね、姉さん」
 それだけ言って、僕はドアを閉めた。
「良かった…………」
 ほっと息をついて、姉さんの部屋のドアに体を預けて、ずるずると床に腰を下ろした。
「本当、良かった……」
 じわりと涙がこみ上げてきて、視界が歪む。
 いるはずの誰かが、いなくなる。
 その悲しみを知っているだけに、怖かった。
「大丈夫、クー? 平気?」
 ひらひらとリオがやってきて、僕の肩に乗った。小さな手で僕の頬に触れて、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ああ、ごめん。なんか、安心したら涙が出ただけだからさ」
「ほんとに? ほんとのほんとに大丈夫?」
「大丈夫だよ、ほんとのほんとに」
 そう言うと、リオはそれ以上何も言わなかった。
 メイヴに……バンシー。
 心の中で、その名前を呼んで、歯噛みする。
 姉さんに、手は出させない。絶対に! 
「絶対に、次は殺してやる……」
 窓の外、空はまだ、夜の色に染まったままだった。



 ○



 姉さんの仕事場は、チェーン展開しているスーパーマーケットだ。主に、そのレジ打ちをしている。勤務時間は、だいたい朝八時から夕方五時まで。その様子は、駐車場側からでもガラス張りの窓越しにうかがえる。流石に休憩中なんかは、バックヤードに入ってしまうからわからないけど、こればっかりはどうにもならない。
 とりあえず、朝から見ていてわかったのはそんなところだ。
 駐車場の隅の縁石に腰掛ける僕は、温かな春の日差しに目を細めた。
「これ、バレたら怒られるんだろうなぁ、姉さんに……」
「そうだね、リオもそう思う」
「けど、そうも言ってられないからな……」
「うん、リオもそう思う」
 うんうん、とうなづいてくれるリオがいて、ちょっとほっとする。一人でやっていたら、きっと心細かっただろう。
 いったい僕がなにをやっているのかというと、姉さんの監視だった。
 今までのところ、メイヴとその手下が現れたのは夜、妖精の時間だけだ。けど、それは今後もそうとは限らない。
 だから僕は、メイヴとの決着がつくまでは姉さんを見守ろう、そう考えたのだ。
 今日は平日だから、学校の方は風邪をひいたということにして休んだ。
 帽子を目深にかぶりコートを着込んで一応変装もしている。ゲイボルグはどうしても目立ってしまうから、家に置いて来た。
 ふと空を見上げれば、春の暖かな日差しがまぶしい。
 見慣れた色合いの、鮮やかな世界。平凡なものの、見ているとどこか落ち着いた。
 そんな風景を見ていると、まるでここ数日の出来事が嘘のように思える。あの、陰惨な空気の漂う、妖精の時間とは真逆の景色に、心が癒されるような、そんな気がした。
 ……今、姉さんを守れるのは僕だけなんだ。
 そんなことを考えていると、不意にあたりが暗くなった。
 びっくりして振り返ると、そこにはいつの間にか、日傘を手にした女の人が立っていた。
 それも綺麗な金髪と、透明感のある白い肌をした、緑色の目の女の人だ。日本人ではありえない。歳は姉さんと同い年ぐらいだろうかと考えるも、外国人だからあまりあてにはならなそう。
 その隣に、もう一人いた。
 黒い女の人だった。
 黒のスーツに身を包み、マスクをしていて顔はわからない。背の高い、黒髪長髪の女だ。こっちは、どこか空ろで血走った目をしていた。
 その二人を見て、僕ははっと気がつく。
 そんな奇妙な二人組、そうそういるもんじゃない。
「クー、この二人……」
「ああ、メイヴと、バンシーだな」
 ぞわっと背筋を、通り抜けていくものがあった。
「昨日の夜以来デスネ。セバタタイチさん?」
 少し硬い日本語をつむぎながら、メイヴが微笑む。
 どうして僕の名前を知っている。
 一瞬、そんなことを思ったものの、すぐにどうでもいいことだとその考えを振り払う。相手は妖精の女王だ、それぐらいわかるんだろう。

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